親交深めた軌跡 作品で

 書家・歌人・東洋美術史家として活躍した會津八一(1881〜1956年)は、自宅を「秋艸(しゅうそう)堂」と名付けている。その室内は多くの書物に囲まれ、庭では植物を栽培し、時には小鳥を幾羽か飼って暮らしていた。その世俗に染まらない姿から、八一は孤高の文人ともいわれるが、実はさまざまな文化人と友好を深めている。

 古美術研究家で評論家の料治熊太は、一時期、秋艸堂の近所に自宅を構えたこともあり、家族ぐるみの付き合いをしている。八一の学芸と人柄に惹(ひ)かれた料治は、秋艸堂の諸事雑用を頼まれたり、書を揮毫(きごう)する際の墨すりを手伝ったりすることもあった。そのような親密な付き合いの中で、料治が釈迦(...

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