追悼、鎮魂の思いも込め
會津八一(1881〜1956年)は、東京で長く教壇に立っていたが、太平洋戦争で被災して故郷・新潟へ疎開し、没するまでの11年間を過ごしている。會津八一記念館開館50周年の夏季企画展は、戦禍に直面しながら、芸術の道をひたすら歩んだ晩年の八一に焦点を当てる。
1945(昭和20)年4月、64歳の八一は東京の自宅・秋艸(しゅうそう)堂が空襲で全焼、万巻の書籍や資料を焼失し、杖(つえ)傘1本で新潟に疎開したという。...
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會津八一(1881〜1956年)は、東京で長く教壇に立っていたが、太平洋戦争で被災して故郷・新潟へ疎開し、没するまでの11年間を過ごしている。會津八一記念館開館50周年の夏季企画展は、戦禍に直面しながら、芸術の道をひたすら歩んだ晩年の八一に焦点を当てる。
1945(昭和20)年4月、64歳の八一は東京の自宅・秋艸(しゅうそう)堂が空襲で全焼、万巻の書籍や資料を焼失し、杖(つえ)傘1本で新潟に疎開したという。...