世界文化遺産を目指す新潟県の「佐渡島(さど)の金山相川鶴子金銀山」と「西三川砂金山」の二つの鉱山遺跡で構成。17世紀には世界最大級の金の産出量を誇った。金の採取から精錬までを手工業で行っていた時代の遺構が残っているのは、世界的に例が少ないとされる。」は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の委員会で7月末に審議される。いよいよ登録に向けた最終段階に入ったが、新潟県は広い。佐渡市以外の県民の中にはピンとこない人もいるだろう。しかし島外にも、佐渡金山とのつながりを示す史料や伝承が残っている。県内各地で見つけた佐渡金山との意外な縁を紹介する。(5回続きの4)

 1616(元和2)年から幕府の直轄地(天領)になり、佐渡からの金銀の唯一の陸揚げ地として栄えた出雲崎。海岸沿いでは金銀が通ったとされる小路や代官所の跡など、当時の面影を今もうかがうことができる。

 江戸時代、相川の佐渡奉行所を出発した金銀は小木から海路で出雲崎に到着。御金蔵に入って2泊した後、その間に調達された馬に載せられて北国街道から中山道経由で江戸まで運ばれた。

 出雲崎町尼瀬の郵便局前には現在、「金銀御用小路」と書かれた看板が掲げられ、港に向かうまっすぐ細い小道が延びる。「金銀は小路の先で荷揚げされたと考えられている。近くに御金蔵があり、この小路で馬に積んで江戸に向かったとみられている」と出雲崎町文化財調査審議会委員長の磯部友記雄(ゆきお)さん(79)。「まちはとても潤ったが、粗相があってはとりつぶしになってしまうと、地元の負担も大きかったようだ」と解説する。

荷揚げされた金銀が通ったとされる「金銀御用小路」について説明する磯部友記雄さん=出雲崎町尼瀬

 磯部さんによると、...

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