突然の地震から命を守るにはどうしたらいいのか。被災後に暮らしを立て直すため何が必要なのか。防災・減災の原点ともいえる阪神大震災から17日で30年となった。
経験を語り継いで課題を検証し、災害に強いまちをつくらねばならない。私たちの防災意識もさらに高めていきたい。
1995年の阪神大震災は観測史上初めて震度7を記録し、6434人が亡くなった。
兵庫県淡路島北部を震源とするマグニチュード(M)7・3の巨大地震で、神戸市から西宮市を中心に大きな被害をもたらした。阪神高速道路が横倒しになった映像は、都市型災害の脅威を見せつけた。
住宅被害は約64万棟に上り、犠牲者の約8割が家屋倒壊や家具転倒による圧死、窒息死だった。火災も相次ぎ、7574棟が焼損した。
◆減らない災害関連死
阪神大震災はそれまでの地震の見方を覆し、被災者支援や防災で大きな転機にもなった。
救助の初動態勢や広域連携の整備、生活再建への支援、住宅の耐震改修などが進んだ。防災意識の向上も図られた。
建物倒壊などを原因とする直接死とは別に、避難生活の疲れや環境変化のストレスから体調が悪化し、亡くなる「災害関連死」という概念も生まれた。
この30年間で、自治体が災害関連死と認定した人は、共同通信の集計で少なくとも5456人に上る。実際はさらに多いとみられる。
熊本地震や能登半島地震では、関連死の人数が直接死を上回るなど、災害が起きる度に関連死で命を落とす人がいる。阪神大震災の教訓が生かされないことは、残念でならない。
一因に厳しい避難所の環境がある。改善は喫緊の課題だ。
阪神大震災まで「個人財産に税金は投じられない」としていた国の姿勢も大きく変わった。
98年に被災者への公的給付を行う被災者生活再建支援法が成立した。その後の法改正で支給上限額が300万円に引き上げられ、使途制限も撤廃された。
共同通信が昨年10~12月に行った知事アンケートでは、6割以上が支給上限額の引き上げを求めている。昨今の物価上昇による経費高騰が主な理由だ。
被災者の暮らしの立て直しには不十分だということだ。支給上限額は2004年以降、据え置かれている。
南海トラフ巨大地震では支援金が8兆円を超えると試算される。財源は国と都道府県の折半で、大規模災害時に制度を持続できるのか懸念も示された。
被災の実態に即したより良い制度へ、知恵を出し合っていかねばならないだろう。
事前防災にも力を注ぐことが求められる。
石破茂内閣は防災庁の創設を看板政策とし、「本気の事前防災」を掲げている。言葉だけでなく、実効性を伴う仕組みになるのか、注視していきたい。
◆支え合う精神大切に
多くのボランティアが支援に駆けつけた1995年は「ボランティア元年」とも呼ばれた。
自治体による災害時の対応には限界があり、阪神以降の震災でボランティアの存在は欠かせないものになった。
中越地震や中越沖地震でも多くのボランティアが本県に入った。東日本大震災や熊本地震などでは本県のボランティアが被災地に向かった。
中越地震を機に、被災地の社会福祉協議会が「災害ボランティアセンター」を設置し調整を図るスタイルが主流になった。
ただ、センターが被災者の多様なニーズを把握しきれていないといった声もボランティア団体から出ている。
被災地の実情に沿った効果的な支援を行い、円滑に活動できるようにすることが大切だ。
支え合い、寄り添う共助の精神を、これまで以上に培っていきたい。
能登半島地震の被害が示すように、住宅の耐震改修が高齢化や人口減少が進む地域などで遅れていることは気がかりだ。行政には補助制度を手厚くするなどし、耐震化を進めていくことが求められる。
政府の地震調査委員会は15日、日本海溝や千島海溝、県内の長岡平野西縁断層帯などで30年以内に巨大地震が起きる確率を引き上げた。
災害はいつ起きてもおかしくない。地震への備えを日頃から心がけたい。