
認定制度や環境相との懇談に向けた思いを語る原告=28日、新潟市
31日の新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。公式確認60年を前に、新潟水俣病第2次行政認定訴訟の原告4人が28日、新潟市で会見した。31日の式典には浅尾慶一郎環境相が出席し、被害者と懇談する。原告らは「(症状など)本当のことを言っているのに認められない。どうすれば認めてもらえるのか」などと訴え、環境相に認定制度の在り方を問う考えを示した。
第2次行政認定訴訟は、公害健康被害補償法に基づく水俣病の認定を棄却された新潟市と阿賀野市に住む男女が県と新潟市を相手取り、2019年に新潟地裁に提訴。原告側は水俣病はメチル水銀に汚染された魚を食べたことによる「食中毒」であるなどと主張し、棄却の取り消しと認定義務付けを求めている。
会見には原告8人(提訴後1人死亡)のうち4人が出席。いずれも家族に行政認定患者や水俣病特別措置法など...
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