児童文学作家の灰谷健次郎さんは、50代になって沖縄の渡嘉敷島に居を構えた。島の暮らしをいとおしみ、島の人々を敬い、エッセーも数多く残した。戦争に関するものも少なくない
▼渡嘉敷島を含む慶良間諸島は沖縄戦が始まった地であり、集団自決で約600人が亡くなった地である。今は無人島となった前島には当時約270人が住み、学校があった。そこの校長の英断を巡る話もエッセーに書いた
▼校長は米軍の上陸前に島で日本軍が駐屯に向けた測量をしていることを知る。軍への協力は必定という時世に、校長はこれを必死で阻止した。「兵がいなければ相手は攻めてこない」。従軍体験に基づく信念があったからだ
▼懸命な抵抗で駐屯は免れた。やがて米軍が上陸するが、軍事施設がないことを確認して立ち去ったという。住民は「捕虜になるくらいなら死ね」と先導されることもなく、一人の犠牲者も出さなかった
▼校長はその事実を長年秘していた。周囲の島々の地獄絵図に耐えがたい思いを抱き、前島だけが難を逃れたことに痛みを感じていたからという。壮絶な地上戦が展開された沖縄には、消せない記憶と同時に、埋もれてしまいそうな秘話も数多く残るのだろう
▼埋もれかけた話を掘り起こす作業とは、真逆の発想だと言える。沖縄の戦争史観に対して「自分たちが納得できる歴史を作らないといけない」と言い放った国会議員がいた。歴史に対し謙虚でありたいと、戦後80年を経た沖縄慰霊の日にあらためて誓う。