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新潟と戦争

考えよう核兵器も戦争もない世界…ノーベル平和賞受賞の被団協・田中熙巳さんが10月4日新潟市で講演
企画展「捕虜になった記者 小柳胖」関連シンポ、10月11日に新潟市中央区で開催 「戦争とメディア」考える
[戦後80年]津南から旧満州に渡った「満蒙開拓団」 犠牲者忍び慰霊祭 3分の1が死亡・行方不明
[戦後80年]昭和天皇が柏崎市「飯塚邸」を「人間宣言」の翌年に巡幸、写真や当主の手記が伝える素顔…地元住民と交流も
終戦直後の占領軍向け慰安施設は新潟県にも、女性を「性犯罪から守る」一方「性接待に差し出す」…ゆがんだ国策の実態 新潟女性史クラブ、20年前に調査し冊子発行
連合艦隊司令長官・山本五十六が「野球観戦記」を書いていた…旧制長岡中学時代に生徒会誌「和同会雑誌」へ寄稿
[戦後80年]音楽は敵味方なく人をつなぐ…戦場のバイオリニスト・故植木周三さん(妙高市出身)、波瀾万丈の人生とは
太平洋戦争期そして戦後…新聞はどう報じたか? 日本新聞博物館(横浜市)で企画展、9月6日開幕
[戦後80年]平和への思いを新たに…広島市を訪問した中学生が感想を発表、五泉市「平和のつどい」
[戦後80年]佐渡市両津地区出身の犠牲者を悼む 慰霊祭で遺族らが平和へ祈り
[戦後80年]なぜ文学者たちは戦争を賛美したのか…柏崎市で立命館大学教授が講演 背景に「極限状態の異常性」
[戦後80年]広島原爆投下時の惨状、平和への思い…柏崎市で被爆体験伝承者が戦争の実相語る講演会
[戦後80年]胎内市ゆかりの犠牲者を悼み、恒久平和祈る 戦没者慰霊祭で遺族ら献花
[戦後80年]広島の被爆体験、どう語り継ぐ…「伝承者」育成の研修に新潟の高校生も意欲、AI活用する疑似対話も
[戦後80年]広島の原爆被害、33歳の“伝承者”が新潟市で講演「知ることが平和への第一歩」
金属代わり陶器で作られたアイロン…生活用品ににじむ銃後の生活 佐渡で11月まで企画展
[戦後80年]「火ダルマになり川に飛び込む」…長岡空襲体験談、実像伝える貴重な資料に 長岡ペンクラブ年刊誌「ペナック」1980~90年代に連載
[戦後80年]学童疎開した上越市で人々の優しさに触れ…葛飾区の91歳男性ら、受け入れ先巡る「感謝行」今も
[戦後80年]「魚雷2発食らった」が不発、九死に一生…新潟市秋葉区・104歳の土橋政治さん、乗った艦は後に全て攻撃に沈み 連載[戦争の果てに…時代の証言]<9>
真珠湾攻撃「小さな勝利」…連合艦隊司令長官・山本五十六が妻の実家に2通の手紙、福島県立博物館が初公開