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新潟と戦争

戦争へのメディアのあるべき姿とは? 新潟市中央区で記者・小柳胖氏の捕虜体験巡りシンポジウム
長岡空襲殉難者名簿への登載、“証拠”なければ難しく…犠牲者の氏名、数の把握はどうあるべきか?
[戦後80年]「遺骨戻らぬ人多く心残り」…田上町で最後の戦没者慰霊祭 主催する遺族会が2025年度末に解散
自作の模型や絵本使い平和の大切さを考える 長岡市表町小6年生が学習の成果を市長らに発表
「バターン死の行進」本間雅晴中将(佐渡出身)初公開の手紙 処刑前に「地球上に正義は存在しない」…深い失望にじむ
【全文掲載】石破茂首相、戦後80年所感を発表 斎藤隆夫氏「反軍演説」に触れ、健全な言論空間の必要性説く
戦後80年見解で話題の斎藤隆夫氏「反軍演説」、当時の新潟新聞はどう伝えたか 新潟との意外な縁も!? [新潟日報fromアーカイブ]
[戦後80年]激戦地ガダルカナル島やビルマで亡くなった県人に平和誓う 長岡市で慰霊祭
考えよう核兵器も戦争もない世界…ノーベル平和賞受賞の被団協・田中熙巳さんが10月4日新潟市で講演
企画展「捕虜になった記者 小柳胖」関連シンポ、10月11日に新潟市中央区で開催 「戦争とメディア」考える
[戦後80年]津南から旧満州に渡った「満蒙開拓団」 犠牲者忍び慰霊祭 3分の1が死亡・行方不明
[戦後80年]昭和天皇が柏崎市「飯塚邸」を「人間宣言」の翌年に巡幸、写真や当主の手記が伝える素顔…地元住民と交流も
終戦直後の占領軍向け慰安施設は新潟県にも、女性を「性犯罪から守る」一方「性接待に差し出す」…ゆがんだ国策の実態 新潟女性史クラブ、20年前に調査し冊子発行
連合艦隊司令長官・山本五十六が「野球観戦記」を書いていた…旧制長岡中学時代に生徒会誌「和同会雑誌」へ寄稿
[戦後80年]音楽は敵味方なく人をつなぐ…戦場のバイオリニスト・故植木周三さん(妙高市出身)、波瀾万丈の人生とは
太平洋戦争期そして戦後…新聞はどう報じたか? 日本新聞博物館(横浜市)で企画展、9月6日開幕
[戦後80年]平和への思いを新たに…広島市を訪問した中学生が感想を発表、五泉市「平和のつどい」
[戦後80年]佐渡市両津地区出身の犠牲者を悼む 慰霊祭で遺族らが平和へ祈り
[戦後80年]なぜ文学者たちは戦争を賛美したのか…柏崎市で立命館大学教授が講演 背景に「極限状態の異常性」
[戦後80年]広島原爆投下時の惨状、平和への思い…柏崎市で被爆体験伝承者が戦争の実相語る講演会