メインメニューをスキップする

新潟と戦争

[戦後80年]新潟から旧満州に渡った移民の歴史、調査20年…成果を書籍に、元教員の高橋健男さん(見附市)自費出版 新潟市中央区・護国神社で9日慰霊祭
[戦後80年]軍国主義の愚かさ、被爆地の惨状を克明に伝え…柏崎市で「戦争展」「原爆展」
[戦後80年]長岡空襲で多くの人が飛び込み亡くなった柿川…戦時の惨状、現在の穏やかな川から想像できず 連載[20代記者がたどる悲劇の地]<1>
[戦後80年]惨禍の記憶が薄れる危機感…新潟の高校生が被爆地広島へ、自分事と捉え発信活動「非核への声上げ続ける」 連載[語り継ぐヒロシマ]<下>
兵士たちが最期に叫んだ言葉は「お母さん」…衛生兵として“今わの際”見つめ、新発田市の難波春栄門さん 連載[草の根の記憶 寄稿集『生きる』から]<2>
古参兵のしごきに耐えて中国へ出征、監獄の壁に残された「祖国よさらば」に涙…新発田市の菅恒栄門さん 連載[草の根の記憶 寄稿集『生きる』から]<1>
[戦後80年]5歳で原爆孤児に…被害の実相伝え続ける飯田國彦さん、今もよみがえる「あの日」の記憶 連載[語り継ぐヒロシマ]<中>
[戦後80年]長岡空襲の記憶なくても語り部に、リアルな証言伝えて…悲惨さ知る遺族らへ、長岡戦災資料館が参加呼びかけ
[戦後80年]佐渡市願集落で起きた悲痛な機雷爆発事故、何があったのか…市内の小学校教員が歴史学ぶ研修会
原爆ドームや平和祈念像…戦争の悲惨さ塗り絵で伝える 柏崎で園児や小学生の作品100点展示
[戦後80年]平和願い交流これからも…長岡市の姉妹都市・米ハワイ州ホノルルの広報担当らが訪問、磯田達伸市長と懇談
[戦後80年]戦争中の新潟の様子を後世に…1998年刊行の書籍「戦場としての新潟」新潟市がデジタル化し公開
[戦後80年]平和の尊さかみしめて…資料で絵画で原爆の恐ろしさ伝え 新発田、阿賀野両市で展示会
[戦後80年]4歳で被爆、妹亡くし…広島原爆の「証言者」瀧口秀隆さん、核を巡る世界情勢に「背筋が凍る」 連載[語り継ぐヒロシマ]<上>
[戦後80年]東京大空襲で犠牲の母、出征し亡くなった父へ思い尽きず 柏崎市で座談会、被爆3世も参加
[戦後80年]模擬原爆の恐ろしさ、実物大模型や資料で後世に…投下された阿賀町で企画展、8月18日まで
[戦後80年]中国で撤退部隊の最後尾に、声もなく消えた戦友…新潟市中央区・105歳の倉島熊治さん、90歳過ぎた頃から体験語り 連載[戦争の果てに…時代の証言]<2>
[戦後80年]インパール作戦でビルマの住民に助けられ…南魚沼市出身・101歳の今泉清詞さん、私費投じた奨学金で恩返し 連載[戦争の果てに…時代の証言]<1>
[戦後80年]あの夏に思いはせ、平和の尊さかみしめて…新潟県内各地で企画展や催し多数
[戦後80年]アートフラワーに平和の祈り…教室開く女性が「慰霊の花」制作、新潟市の護国神社に5日献花へ