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新潟と戦争

[戦後80年]当時12歳、たった一人で朝鮮半島から引き揚げ…見附市・90歳の松井晃さん、凄惨な体験を自分史に 連載[戦争の果てに…時代の証言]<8>
[戦後80年]“故郷”サイパン訪ね知った戦争のむごさ…阿賀野市・82歳の佐藤久枝さん、「伝えなければ」と語り部に 連載[戦争の果てに…時代の証言]<7>
[戦後80年]満州開拓団の集団自決で亡くなった弟2人…新潟市中央区・93歳の小出公司さん、現地で供養“再会”果たす 連載[戦争の果てに…時代の証言]<6>
父の出征で家族の生活一変…女性の社会進出が進んでいない時代、公的支援も遅く「戦災母子家庭」の苦労は戦後も 戦後80年・連載[“銃後”~振り返るあの日々]<5>
「国民学校は少年兵をつくり出す組織だった」一変した学校生活 戦後80年・連載[“銃後”~振り返るあの日々]<3>
「節米」に「白米禁止令」…戦争の長期化で食糧不足も深刻に、コメに野菜混ぜ“かさ増し”した記憶 戦後80年・連載[“銃後”~振り返るあの日々]<2>
【戦後80年】“最後の日本兵”皆川文蔵さん(胎内市出身)8月15日で終わらなかった戦争、生き抜いた16年 [昭和100年の日報ニュース]
挙国一致の戦時中、“銃後の守り”に徹した女性たち…物資不足で強いられた「欲しがりません勝つまでは」 戦後80年・連載[“銃後”~振り返るあの日々]<1>
平和のバトン次世代に 被爆体験家族伝承者の元NHK杉浦圭子アナウンサーが新発田市で講演、高校生平和大使の発表も
[戦後80年]全国戦没者追悼式・魚沼市の男性が献花、31歳で亡くなった父へ「再び日本が戦争を起こさないことを誓う」
「終戦の日」、マッカーサー到着…昭和の報道写真に”秘話”あり 研究家・沼田清さん(新潟出身)が書籍刊行
妙高市16寺院で「平和の鐘」厳かに鳴り響く 8月15日に合わせ、戦没者悼む
[戦後80年]長岡空襲で人々が押し寄せた平潟神社、そこで語り部の女性と出会い…彼女が話した「記憶をたどる覚悟」 連載[20代記者がたどる悲劇の地]<4>
[戦後80年・座談会詳報]平和って何だろう?戦争の重みどう伝える?体験した人もしていない人も…それぞれが思う「継承」
[戦後80年]解散続く上越市内の戦没者遺族会、団体数は20年で半数以下に…背景に高齢化と後継者不足、危機感抱く関係者
[戦後80年]グラマン機から機銃掃射受け九死に一生、薄ら笑いの米兵の表情の意味は…自問続ける新発田市の佐藤泰彦さん
[戦後80年]終戦の日に合わせ、新潟県内首長が談話 記憶継承の大切さ訴え
【再掲】特攻兵に「ヒロポン」、軍医だった蒲原宏さん 「特攻に加担」苦悩深く…傷痕伝える俳句遺す
[戦後80年]民間で建立の戦没者慰霊碑、維持が課題に 管理する遺族会などは解散・親族は減る…「邪魔な物」撤去の懸念も
[戦後80年]戦地と故郷つなぐ手紙、家族への思いにじませ…長岡市歴史文書館で展示、8月30日まで