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新潟と戦争

挙国一致の戦時中、“銃後の守り”に徹した女性たち…物資不足で強いられた「欲しがりません勝つまでは」 戦後80年・連載[“銃後”~振り返るあの日々]<1>
平和のバトン次世代に 被爆体験家族伝承者の元NHK杉浦圭子アナウンサーが新発田市で講演、高校生平和大使の発表も
[戦後80年]全国戦没者追悼式・魚沼市の男性が献花、31歳で亡くなった父へ「再び日本が戦争を起こさないことを誓う」
「終戦の日」、マッカーサー到着…昭和の報道写真に”秘話”あり 研究家・沼田清さん(新潟出身)が書籍刊行
妙高市16寺院で「平和の鐘」厳かに鳴り響く 8月15日に合わせ、戦没者悼む
[戦後80年]長岡空襲で人々が押し寄せた平潟神社、そこで語り部の女性と出会い…彼女が話した「記憶をたどる覚悟」 連載[20代記者がたどる悲劇の地]<4>
[戦後80年・座談会詳報]平和って何だろう?戦争の重みどう伝える?体験した人もしていない人も…それぞれが思う「継承」
[戦後80年]解散続く上越市内の戦没者遺族会、団体数は20年で半数以下に…背景に高齢化と後継者不足、危機感抱く関係者
[戦後80年]グラマン機から機銃掃射受け九死に一生、薄ら笑いの米兵の表情の意味は…自問続ける新発田市の佐藤泰彦さん
[戦後80年]終戦の日に合わせ、新潟県内首長が談話 記憶継承の大切さ訴え
【再掲】特攻兵に「ヒロポン」、軍医だった蒲原宏さん 「特攻に加担」苦悩深く…傷痕伝える俳句遺す
[戦後80年]民間で建立の戦没者慰霊碑、維持が課題に 管理する遺族会などは解散・親族は減る…「邪魔な物」撤去の懸念も
[戦後80年]戦地と故郷つなぐ手紙、家族への思いにじませ…長岡市歴史文書館で展示、8月30日まで
[戦後80年]長岡空襲で「九死に一生」記憶残る長生橋へ80年ぶりに足運び…米寿迎えた男性が抱いた思いは 連載[20代記者がたどる悲劇の地]<3>
戦争の“リアル”を庶民目線で…寄稿集「生きる」誕生の経緯とは?編集者の一人・伊藤啓子さんに聞く 連載[草の根の記憶 寄稿集『生きる』から]<4>
[戦後80年]一家で渡った満州で軍隊に見捨てられ…阿賀野市・88歳の須田一彦さん、開拓者の「加害」の側面にも向き合い 連載[戦争の果てに…時代の証言]<5>
戦後80年特別番組、硫黄島で捕虜になった新聞記者「小柳胖の戦争~売国奴と呼ばれて~」BSN新潟放送が8月15日放送
ビルマ従軍中、住民からコメ徴発「取らないで」懇願する若い母親に妻子よぎり…新発田市の小野七蔵さん 連載[草の根の記憶 寄稿集『生きる』から]<3>
[戦後80年]長岡空襲の「爆撃中心地点」明治公園、来年には戦災資料館がすぐ隣に…石碑を見つめ、恒久平和守る思い胸に 連載[20代記者がたどる悲劇の地]<2>
[戦後80年]人間扱いされなかったシベリアでの抑留生活…柏崎市出身・100歳の西倉勝さん、平和のために語り部続け 連載[戦争の果てに…時代の証言]<4>