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新潟と戦争

[戦後80年]グラマン機から機銃掃射受け九死に一生、薄ら笑いの米兵の表情の意味は…自問続ける新発田市の佐藤泰彦さん
[戦後80年]終戦の日に合わせ、新潟県内首長が談話 記憶継承の大切さ訴え
【再掲】特攻兵に「ヒロポン」、軍医だった蒲原宏さん 「特攻に加担」苦悩深く…傷痕伝える俳句遺す
[戦後80年]民間で建立の戦没者慰霊碑、維持が課題に 管理する遺族会などは解散・親族は減る…「邪魔な物」撤去の懸念も
[戦後80年]戦地と故郷つなぐ手紙、家族への思いにじませ…長岡市歴史文書館で展示、8月30日まで
[戦後80年]長岡空襲で「九死に一生」記憶残る長生橋へ80年ぶりに足運び…米寿迎えた男性が抱いた思いは 連載[20代記者がたどる悲劇の地]<3>
戦争の“リアル”を庶民目線で…寄稿集「生きる」誕生の経緯とは?編集者の一人・伊藤啓子さんに聞く 連載[草の根の記憶 寄稿集『生きる』から]<4>
[戦後80年]一家で渡った満州で軍隊に見捨てられ…阿賀野市・88歳の須田一彦さん、開拓者の「加害」の側面にも向き合い 連載[戦争の果てに…時代の証言]<5>
戦後80年特別番組、硫黄島で捕虜になった新聞記者「小柳胖の戦争~売国奴と呼ばれて~」BSN新潟放送が8月15日放送
ビルマ従軍中、住民からコメ徴発「取らないで」懇願する若い母親に妻子よぎり…新発田市の小野七蔵さん 連載[草の根の記憶 寄稿集『生きる』から]<3>
[戦後80年]長岡空襲の「爆撃中心地点」明治公園、来年には戦災資料館がすぐ隣に…石碑を見つめ、恒久平和守る思い胸に 連載[20代記者がたどる悲劇の地]<2>
[戦後80年]人間扱いされなかったシベリアでの抑留生活…柏崎市出身・100歳の西倉勝さん、平和のために語り部続け 連載[戦争の果てに…時代の証言]<4>
[戦後80年]開拓団の悲劇忘れず…「満州柏崎村の塔」に献花台設置 8月15日まで
[戦後80年]硫黄島で捕虜になった新聞記者…故・小柳胖氏の足跡たどる企画展、にいがた文化の記憶館で11月3日まで
[戦後80年]シベリア抑留、寒さと過酷な労働…新潟市中央区・101歳の村山元威さん、「いつか帰れる」希望失わず 連載[戦争の果てに…時代の証言]<3>
[戦後80年]新潟の空襲、悲劇忘れない…中学生ら水戸教公園祈念碑(新潟市中央区)で犠牲者を悼み献花
[戦後80年・特集]新潟県の軍人・軍属戦没者7万2826人…中国へ出征した兵士2人が残した「戦禍の記録」
ソ連の満州侵攻から80年、現地で亡くなった新潟県人を悼む慰霊祭・護国神社 シベリア抑留で亡くなった人の慰霊も
長崎への原爆投下から80年、新潟市役所でも約100人が鎮魂の祈り 核廃絶誓う
[戦後80年]資料で絵本で詩集で…「戦争と平和」について考えよう 下越地域の図書館に特設コーナー