
20年前、六つの市町村が合併し、新たな長岡市の歩みが始まった。地域は、行政は、どう変化したのか。次の20年をどう歩むのか。現実を見詰め、光を探す。(6回続きの3)
長岡市に編入された10の旧市町村にとって、合併は本庁としての市役所や役場がなくなることを意味した。合併が行政のスリム化を目的の一つとする以上、再編、縮小の流れは避けられない。「自治の形」を巡る模索は現在も続く。
越路支所の会議室は熱気を帯びていた。3月中旬、地域の区長、総代らでつくる連絡協議会の会合で、「こしじコミュニティ推進会議」の担当者や支所職員が活動を説明する場があった。一通りの説明後、区長側の一人が発言した。
「コミュニティー活動の原点は地域だが、地域の活動が縮小している。(長岡市との)合併で、コミュニティーが分解したんだ」
合併後の長岡市は、旧長岡で導入していたコミュニティセンター(コミセン)を支所地域にも置き、住民の代表が参加する組織が運営する体制づくりを進めてきた。越路はもともと町内会単位での活動が活発なこともあり、支所地域で唯一、コミセンが設置されていない。推進会議として動き出し、住民参加の形を模索している段階だ。
区長らの協議会で事務局を務める松井了(さとる)さん(65)は「まとめ役の役場がなくなり、地域の『親方』がいなくなった。支所は連絡係。コミセンに反対ではないが、市のビジョンが見えない」と苦言を呈する。

▽「地域委員会」の廃止
そもそも支所地域には合併直後、合併協議に基づく「地域委員会」が置かれていた。市長の諮問機関として地域と行政をつなぐ役割を担っていたが、22年度を最後に廃止された。コミセンが各地にでき始め、存在意義が薄れたことが背景にあった。
地域委の役割も担うことになったコミセン側には、戸惑いものぞく。活発な活動で知られる三島コミセンは、市の方針に基づき地域委の後継組織をつくったものの、開いたのは過去1回だけ。担当者は「既存の部会があるので、新たな組織に集まってもらう必要があまりない」と明かす。
まちづくりの文化や歴史、行政機関と住民との関係性は、地域で異なる。市はコミセンと支所を地域活動の軸に据えるが、各地域の進展具合はまだら模様だ。
24年に設置された和島コミセンでまちづくり部会長を務める久住郁夫さん(73)が、合併後の住民と行政との関係を言い表す。「人は減り、地域は停滞した。この20年で、長岡市に任せていては駄目だ、自分たちが何とかしなければいけない、と(住民側が)気付いた」
▽議会も“合併”ゆえに…
合併によって、市町村ごとにあった議会も一つになった。現在の長岡市議会の定数は34。11年以降は、全市域を一つの選挙区として選挙が行われている。
川口地域では1月、地域からただ一人選出された50代の市議が...