志賀直哉の短編「灰色の月」は文庫本で4ページの長さだ。舞台はちょうど80年前、「昭和二十年十月十六日」の東京、山手線の車内である

▼主人公の「私」が東京駅から品川方面に向かう電車に乗ると、座席に17~18歳と思われる少年工がいた。目をつむり、口を開け、上体を前後に大きく揺らしていた。乗客たちは病気か、酔っぱらいかと推し量った

▼乗客の一人が少年工にどこまで行くのか尋ねると、上野と答えた。東京より四つ前の駅だ。少年工が乗り越しに気付き体を起こすと、重心を失い「私」に寄りかかってきた。「私」の体重は50キロほどだったが、少年工ははるかに軽かった

▼「戦争が終わり、そして子どもたちの戦いが始まった」という本が先ごろ出版された。それによると、上野駅は1945年3月の東京大空襲で比較的被害が軽かった。東京の玄関口である上野駅周辺では、空襲時に火事が広がらないよう、あらかじめ建物が取り壊されていたためとみられる

▼駅には戦後、空襲で住む家をなくした人たちが雨風をしのごうと集まってきた。46年11月に東京都が行った調査によると、その数は千人以上で、戦争孤児も多く含まれていた。駅の地下道は外よりも暖かかったが、食べ物が少なく、大勢の人が病気や栄養失調に苦しんでいた

▼軍隊による戦闘が終わった後も、民衆の生き延びるための戦いは長く続いていたのだ。これも戦争の実相の一つである。今度、山手線に乗ったら、やせ細った少年工の姿を思い浮かべたい。