◆「地元の期待が高まるのは承知の上」

 2021年6月1日。自民党安倍派(清和政策研究会)に所属する当時の文部科学相・萩生田光一は佐渡市の両津港に降り立った。報道陣に公開される大臣の出張予定にもない、極秘の来島だった。

 目的は世界文化遺産の国内候補「佐渡島(さど)の金山」の視察。国連教育科学文化機関(ユネスコ)への推薦を念頭に置いた最終確認の意味もあった。

 江戸時代から使われていた坑道「宗太夫坑(そうだゆうこう)」や金山のシンボル、道遊の割戸などを見て回った。「あの時代に金を手掘りで…。想像するだけですごいな。価値は十分だ」。萩生田は確信を深めた。

極秘で来島し「佐渡島の金山」を視察する萩生田光一文科相(当時)=2021年6月1日、佐渡市

 文化審議会が答申を出していない段階で所管大臣が国内候補地を訪ねるのは極めて異例だ。後に新潟日報社の取材に応じた萩生田は当時を振り返り、断言した。「行けば後戻りできない。地元の期待が高まるのは十分承知の上だった」

 萩生田は事前に首相・菅義偉と、来島についてやりとりした。佐渡金山にさして関心がない様子の菅から「大臣が一番詳しいんだろうから」と一任された。

 世界遺産の国内推薦へ佐渡金山が15年に挑んでから、4回もの落選を重ねていた。「佐渡には何回も待ってもらっている」。佐渡視察には萩生田の強い意志が込められていた。

 文科省トップの来訪に、島は色めき立った。地元関係者は文化庁幹部の「自分と大臣が来たからには、(推薦は)決まったようなものだ」との発言も耳にしていた。「これで行ける」。悲願達成へ期待は膨らんでいった。

◆夏の推薦答申先延ばし、「菅降ろし」も影響

 しかし-。程なくして国際社会と永田町では対照的な動きが加速していく。萩生田来島からわずか1カ月後の7月、ユネスコの世界遺産委員会が「明治日本の産業革命遺産」を巡り、戦時徴用された朝鮮半島出身者の説明が不十分と決議した。

 この後、例年夏に出される文化審の国内推薦の答申が先延ばしになる。「推薦候補の選定基準見直し」が答申延期の表向きの理由だった。通例で9月末までとなっている暫定版の推薦書提出が不可能になることも意味していた。

 佐渡金山も「明治日本」同様、朝鮮半島出身者の徴用の歴史がある。元政府幹部はこう証言する。「(答申延期は)決議が間違いなく影響している。選定基準の見直しは理由の後先が逆だ」

 同じ時期、政局も動いていた。菅政権は新型コロナウイルスの対応で批判を浴び、8月の支持率は30%台と低迷。政界には「菅降ろし」の風が吹き荒れていた。菅に近い政務三役経験者は「この流れで答申が出ても、菅さんには判断する余裕がなかった」とみている。自民党総裁選の出馬さえままならない菅。「世界遺産に注ぐエネルギーは残っていなかっただろう」

 佐渡金山の国内推薦への期待は、次の岸田文雄政権に持ち越された。(敬称略)

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