
亡き妻に夢の中で叱られたのは、東日本大震災から間もない頃だった。「もう死んでるんだから、いつまでも考えているんじゃないわよ」。絶望の中で、かすかに背を押された。宮城県石巻市の大川地区で暮らす遠藤仁雄さん(70)は、燕市出身の妻と両親を津波で亡くした。一歩ずつ悲しみを乗り越え、7年前には民宿兼食堂を始めた。震災から14年となった3月11日、妻の遺影に「今日もよろしく」と語りかけると、笑顔で客を出迎えた。(新潟日報社取材班・荒川真琴)
遠藤さんが大川地区で経営する民泊・まかない処「まがき」では、地元産の食材を中心にカキフライや郷土料理のどんこ汁など「田舎料理」を振る舞う。一人で切り盛りし、自ら釣った魚をさばくこともある。
遠藤さんの料理にほれ込んで常連になった客や復興の取り組みに訪れる人など、さまざまな人たちが共に食卓を囲み、にぎやかに過ごす。遠藤さんにとっても「重要な交流の場所」だ。問われるままに震災の経験を語るうち、重い気持ちが楽になることもあった。
震災の日、生協職員だった遠藤さんは勤務先の仙台市にいた。大川地区の間垣集落にあった自宅には、妻祐子さん=当時(54)=と両親がいた。祐子さんからのメールには「みんな大丈夫」とあったが、それを最後に連絡が途絶えた。...
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