
新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の公式確認から、31日で60年となる。高齢化する被害者は、水俣病問題の全面解決を求めているが、今も被害の全容は解明されていない。31日には新潟市で県主催の式典が開かれ、浅尾慶一郎環境相も出席する。被害者との懇談の場も設けられ、救済に向けた環境相の発言があるかが注目される。
新潟水俣病は、昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)鹿瀬工場(現阿賀町)が阿賀野川に流した排水にメチル水銀有機水銀の一つ。天然に存在する無機水銀が微生物の働きでメチル水銀に変化し、食物連鎖を通じて魚介類に取り込まれる。食物連鎖の上位にある大型魚や深海魚は、比較的多く含有。体内に大量に入ると、中枢神経に障害などを起こす恐れがある。水俣病の原因物質。が含まれていたことで発生。1965年5月31日、被害者を診察した新潟大の教授らが「原因不明の有機水銀中毒患者が阿賀野川下流域に散発」などと県に報告した。熊本県で水俣病熊本県水俣市のチッソ水俣工場から不知火海(八代海)に流された排水に、毒性の強いメチル水銀が含まれ、汚染された魚介類を食べた住民らに手足のしびれや感覚障害、視野狭窄(きょうさく)といった症状が相次いだ。1956年に公式に確認され、68年に国が公害と認定した。母親の胎内で影響を受けた胎児性患者もいる。根本的な治療法は見つかっていない。新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくと並ぶ四大公害病の一つ。が報告された9年後に起きており、「...