
爆心地から約700メートルの自宅にあった防空壕内で被爆した池田松義さん。家族は犠牲になり自分1人が残された
当時7歳。長崎市の自宅の防空壕を掘っていたとき、閃光と激震が襲ってきた。熱風が吹きつけ、息ができなかった。爆心地から約700メートルだった。
1945年8月9日、長崎に投下された原爆によって、両親と曽祖母、親戚3人で暮らしていた池田松義さん(87)は家族6人を次々と亡くし、一人きりになった。被爆80年の今年、池田さんの胸に去来する思いとは…。(共同通信=久保光輝、水野立己、森山遼)
▽一人きりに
被爆直後、「松義ー、松義ー」と、池田さんを呼ぶ声が聞こえ、皮膚の焼けただれた人が、よろよろ歩いてきた。
「おまえ無事だったか」
抱きしめられて、ようやく父だと分かった。職場から猛火の中を逃げ帰った父は...
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