中国戦線の一兵卒、参謀本部の情報将校、終戦処理交渉の通訳……太平洋戦争の渦中を駆け抜け、その体験を公に記すことなく静かに世を去った記者がいた―。

 戦前に作られた国策通信社の同盟通信と、後身の共同通信で活躍した大竹貞雄だ。米国生まれの日系アメリカ人2世でもある。

 米国へ移民として渡った貞雄の家族は、日本と米国の両方にまたがって暮らしていた。そのため戦争が始まると、それぞれの国に忠誠を誓い、徴兵されることになった。戦争は家族を敵と味方に分断し、容易に消えない傷痕を残す。戦後80年、戦争の行方に翻弄された、ある家族の運命を追った。(共同通信=武田惇志)

▽日系2世といじめられ

 大竹貞雄は1913(大...

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