福岡大空襲の体験を語り合う会で話す円応寺の三木和信住職=6月15日午後、福岡市
 福岡大空襲の体験を語り合う会で話す円応寺の三木和信住職=6月15日午後、福岡市
 福岡大空襲の慰霊法要で黙とうする参列者=6月15日午後、福岡市
 福岡大空襲の戦災死者供養塔に手を合わせる人=6月15日午前、福岡市
 福岡大空襲の慰霊法要で手を合わせる親子=6月15日午後、福岡市
 福岡大空襲の戦災死者供養塔の前で手を合わせる入江住子さん(右)=6月15日午前、福岡市
 福岡大空襲の慰霊法要で黙とうする入江住子さん(右)=6月15日、福岡市
 福岡大空襲の戦災死者供養塔の前で手を合わせる入江住子さん=6月15日、福岡市
 福岡大空襲の体験を話す入江住子さん=6月15日、福岡市
 福岡大空襲から80年となった6月19日に福岡市主催で営まれた追悼式=市役所

 あの夜はいつもと違う夜だった。太平洋戦争末期の1945年6月19日、米軍のB29爆撃機200機余りによる無差別爆撃で、福岡市中心部は焦土と化した。「福岡大空襲」。この空襲で犠牲になった人は900人を超える。

 13歳で被災した福岡市南区の入江住子さん(93)は焼夷弾の雨の中を逃げ惑い、家族6人が命を取り留めた。どうして助かったのか―。答えは出ないまま、80年が過ぎた。最近ではウクライナや中東での戦禍を目にするたびに、当時の恐ろしさを思い出す。「どうして戦争はやめられないんでしょうか」。平和を祈る日は以前より増した。(共同通信=滝田汐里)

 ▽寺で営まれた慰霊祭、住職は涙ながらに「生きた心地がしな...

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