難波平人さんの展覧会「昭和38年頃のひろしま基町相生通りスケッチ」で発表された作品(難波さん提供)
 難波平人さんの展覧会「昭和38年頃のひろしま基町相生通りスケッチ」で発表された作品(難波さん提供)
 ラジオ体操の音楽に合わせて体を動かす住民=2025年5月
 「基町プロジェクト」が主催した、2025年7~8月の企画展に出展された写真。高層アパートが建ち始めた時期の1971年9月の基町地区。現在の「ひろしまスタジアムパーク」付近(故・蒲池玄三郎氏撮影)
 旧太田川(本川)の対岸から望む高層アパート。手前の土手はかつてバラックが密集し、現在は憩いの水辺としてにぎわう=2025年5月
 バラック街のスケッチを見ながら来場者と語り合う難波平人さん(左)=2025年5月
 戦災から復興した国内外の街区をテーマに「基町プロジェクト」が開催した写真展=2024年8月(基町プロジェクト提供)
 「基町プロジェクト」の活動拠点の前に立つメンバー。左から笠井美里さん、増田純さん、中村圭さん、原琉太さん、平石ももさん。増田さんは2025年3月までスタッフを務め、ほかの4人は現役=2025年4月(基町プロジェクト提供)
 南側から望む基町地区。「くの字」の形をした高層アパート群(中央)の後ろを旧太田川(本川)が流れる。左手前は「ひろしまスタジアムパーク」のエディオンピースウイング広島や芝生広場。右手前は広島城=2025年5月
 自治会長として住民の相談に応じるアーティストのイタイミナコさん(右)。住民から話を聞きながら、その人の彫像を制作する取り組みを続けており、作品は200体以上になった(本人提供)

 不規則に立ち並ぶ板張りの家々。積まれた廃品。曲がりくねった土手道―。爆心地からほぼ1キロ圏内、広島市中区・基町地区は80年前に壊滅状態となった。戦後、行き場に窮した人々が川沿いにひしめくバラックに身を寄せ「原爆スラム」と呼ばれた「まち」もあった。原爆投下から18年後、ここに引き寄せられ、スケッチを重ねた大学生がいた。

 二紀会理事の難波平人さん(83)=広島県東広島市=が、洋画家を志した若き日の作品が今年5~6月、初公開された。100カ国以上の集落や遺跡を歩き、その「魂」を描く創作活動の原点。当時を知る地区内外の人は「原風景」と懐かしんだ。

 バラック群は再開発で撤去され「まち」は消えた。代わっ...

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