
難波平人さんの展覧会「昭和38年頃のひろしま基町相生通りスケッチ」で発表された作品(難波さん提供)
不規則に立ち並ぶ板張りの家々。積まれた廃品。曲がりくねった土手道―。爆心地からほぼ1キロ圏内、広島市中区・基町地区は80年前に壊滅状態となった。戦後、行き場に窮した人々が川沿いにひしめくバラックに身を寄せ「原爆スラム」と呼ばれた「まち」もあった。原爆投下から18年後、ここに引き寄せられ、スケッチを重ねた大学生がいた。
二紀会理事の難波平人さん(83)=広島県東広島市=が、洋画家を志した若き日の作品が今年5~6月、初公開された。100カ国以上の集落や遺跡を歩き、その「魂」を描く創作活動の原点。当時を知る地区内外の人は「原風景」と懐かしんだ。
バラック群は再開発で撤去され「まち」は消えた。代わっ...
残り2653文字(全文:2953文字)
































