新聞社に入りたてのころだ。政界の何たるかも理解していなかったが、そんなことも起こるのかとあっけにとられる展開を目の当たりにした。1993年8月、共産党を除く非自民の8党会派が結束し、連立政権を誕生させた

▼直前の衆院選で自民党は過半数を割り、結党以来初めて下野し55年体制は崩壊した。新政権で非自民第1党は社会党だったが、新党ブームで躍進した日本新党の細川護熙さんが首相に就いた

▼細川内閣は衆院選で小選挙区制を導入する政治改革関連法を成立させた一方、政治とカネの問題が浮上するなどして8カ月余りで退陣する。その後、さらに驚きの展開が待っていた

▼94年6月、今度は自民党が長年にらみ合ってきた社会党と、新党さきがけを抱き込む連立政権に突き進む。イデオロギー的には水と油ほど違う社会党の委員長を首相に担ぐ離れ業だった。1年半後には自民総裁が首相に返り咲く。政権奪還のためなら何でもあり。節操なしか執念か

▼ほぼ30年を経た今、政権の枠組みを巡る混沌(こんとん)が続く。少数与党の自民党は公明党に連立を解消され、新たな多数派工作に必死だ。ようやく日本維新の会との政策協議にこぎ着けたが、立憲民主党も国民民主党も表舞台に立つ機をうかがっている

▼政治的な野心や打算、したたかさも狡猾(こうかつ)さもあらわになる修羅場の局面で、各党の立ち居振る舞いに目を凝らす。ちなみに日本新党も新党さきがけも今は存在せず、社民党に党名を変えた社会党の低迷は知っての通り。