インタビューに答える柏崎刈羽原子力規制事務所の伊藤信哉所長
インタビューに答える柏崎刈羽原子力規制事務所の伊藤信哉所長

 2024年2月に原子力規制庁東京電力福島第1原発事故を受け、2012年に発足した原子力規制委員会の事務局。規制の審査、検査などの実務を担っている。柏崎刈羽地域など原子力施設の立地地域には、原子力規制事務所を置き、日々の原発の検査やトラブル、緊急事態への対応に当たっている。柏崎刈羽原子力規制事務所の所長に着任した伊藤信哉さん(50)は13年前の2011年3月11日、大津波に襲われた東北電力女川原発東北電力が運営する原発。宮城県の女川町と石巻市にまたがり建っている。1~3号機まであるが、1号機は2018年12月に運転を終了した。いずれも沸騰水型。1号機は1984年に営業運転を始め、最新の3号機は2002年1月から営業運転している。2・3号機の出力は82・5万キロワット。東京電力福島第1原発事故後に定められた新規制基準に適合するため、全基が運転を停止。2024年9月に2号機の再稼働を目指している。(宮城県)にいた。原発所員として津波対応に当たった後、国の安全規制を行う側に転じた。そして今、13年前の津波で原発事故を起こした東京電力が再稼働を目指す柏崎刈羽原発新潟県の柏崎市、刈羽村にある原子力発電所で、東京電力が運営する。1号機から7号機まで七つの原子炉がある。最も古い1号機は、1985年に営業運転を始めた。総出力は世界最大級の約821万キロワット。発電された電気は関東方面に送られる。2012年3月に6号機が停止してから、全ての原子炉の停止状態が続いている。東電が原発を再稼働させるには、原子力規制委員会の審査を通る必要がある。7号機は2020年に全ての審査に「合格」したが、安全対策を施している最中で、再稼働していない。の安全性を日々監視している。原発事故を踏まえた原子力安全への思いを聞いた。(柏崎総局長・前田有樹)

-13年前の東日本大震災時、東北電力の女川原発地震発生時は1号機と3号機が運転中で、2号機は原子炉が起動している状態だった。揺れによって3基とも自動停止した。最大約13メートルの津波が到達し、設備の一部を破損したが、津波の高さは原発の敷地の高さは超えなかった。1号機建設時は津波の高さを3メートル程度と想定していたが、想定を引き上げて高さ14・8メートルの場所に建設していた。地震発生後は、被災した近隣住民らが原発施設に避難してきたため、受け入れた。避難者は最大364人で、約3カ月受け入れを続けた。の所員としてどんな経験をしましたか。

 「当時は原発のメンテナンス部門にいて、地震後、津波が来るというので高台に逃げた。しばらくたって戻ると、2号機の海水ポンプが水没するなどのトラブルが起きていた」

 「それは原子炉を冷やす根源となる重要なポンプで二つのうち片方は水没したが、もう片方は首の皮一枚でつながっていた。残った方を何とか助けて、安全を維持しようと心がけた」

-東電の福島第1原発で事故が起きたことを知ったときは...

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