東京電力福島第1原発事故発生から13年、当時事故対応に当たった陸上自衛隊の元幹部3氏が新潟日報社の取材に初めて応じた。3号機の水素爆発に遭遇し、部下が負傷した厳しい体験や事故現場で得た放射線防護の教訓、原子力災害時の住民避難を巡る課題、安全保障面から必要な柏崎刈羽原発の備えについて聞いた。(論説編集委員・仲屋淳)=3回続きの1=
2011年3月12日。岩熊真司氏が隊長を務めていた陸上自衛隊中央特殊武器防護隊(さいたま市、中特防)は「東京電力福島第1、第2原発で発生した事態に対処せよ」との命令を受けた。核、生物、化学兵器に対処する専門部隊の中特防は、福島県に向けて大宮駐屯地を出発した。

▽爆発
原子力災害時の対応拠点となるオフサイトセンター(福島県大熊町)に部隊の200人が到着したのは、13日の未明だった。
原子力災害時の対応拠点となるオフサイトセンター(福島県大熊町)に部隊の200人が到着したのは、13日の未明だった。
現地ではまず、福島第2原発の冷却用に川の水をくみ上げ、水タンク車で運んだ。原子炉への注水を14日の朝まで実施した。

その後、福島第1原発への注水作業を依頼され、午前9時ごろ現地に行き、東電の人に案内されて構内に入った。
進入したのは自分が乗った指揮官車、水タンク車の...
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