「声はどの程度でいいのか」。昭和天皇が尋ねた。普段の声で、と担当者が答える。1945年8月14日、天皇はマイクの前に立った。国民に終戦を告げる玉音放送を録音するためである

▼1度目の録音が終わったが、聴きづらい箇所があるとの指摘があった。うまくいかなかったので、もう一度読む-。天皇は再度マイクに語りかけた。福田和也「昭和天皇 第六部」で描かれたシーンだ。天皇の胸の内を多くの国民に伝えようと最善を尽くす姿が読み取れる

▼自分の言葉を広い範囲に届けようとする時、人はマイクに向かう。例えば、選挙の時だ。候補者は支持を得ようと、街頭で聴衆に語りかける。民主主義の根幹をなす行為と言ってもいい

▼そこに別の陣営が大音量のマイクの音をかぶせれば、候補者の言葉はかき消される。東京での衆院補選で街頭演説を妨害したとして、公選法違反の疑いで政治団体「つばさの党」の代表らが逮捕された。単なるやじとは違い、候補者の言葉を有権者に届ける手段を奪う行為だ

▼思いを伝えようと握りしめたマイクのスイッチが切られたこともあった。水俣病被害者と環境相の懇談会で、わずか3分の制限時間を理由に環境省の担当者が被害者の発言を一方的に打ち切り、強い批判が寄せられた。環境相は再び懇談に臨み、新潟水俣病の被害者の声を聞く場も設ける意向という

▼誰かの声に耳を傾ける。そんな行為を大切にしたい。マイクは時に、音声だけでなく発言者の心も伝えてくれるはずだ。

朗読日報抄とは?