「村での裁判-稲を盗んだのは誰だ!?-」。県立文書館のウェブサイトがこんなタイトルで、江戸時代の古文書に記された「裁判」について紹介している
▼事件は1809(文化6)年9月15日に起きた。現在の上越市にあった「梶村」で、村人が干していた稲が盗まれた。当時は殺人などの大事件は幕府や藩の役人が検分し処罰するが、軽微な犯罪は村内で解決することが多かった
▼この事件では証拠が見つからず「入札(いれふだ)」という村人の投票で犯人を決めた。事前に証文を交わした。怪しいと思う人の名前を書いて投票し、名前の多かった人を犯人として村から追放する、結果には不平を言わないという内容だった
▼入札では10人の名前が挙がり、最多の18票が入った人物が犯人にされた。本当に村から追放されたかは記録に残っていない。村人が減れば年貢などを納める人手も減る。だから家族や親類らが保証人になってわびを入れ、村に留まることが多かったようだ
▼当時の入札は、証拠も自供もないのに犯人を決めるということだ。「嫌われ者選挙」のようで背筋が寒くなる。とはいえ、共同体には最低限の規律が求められる。村を維持するため、形式的にでも犯人を決める必要があったのかもしれない
▼今月、永田町でも「入札」が相次いだ。難局を打開するリーダーは誰か。かの村の住人は、どんな思いで一票を投じたのだろう。おかしな証文や密約が交わされていないか。総選挙が近いという。私たちもじっくり吟味しなければ。