能登半島地震の際、参拝者が避難した広場の前で語る禰宜の伊藤豊彦さん=新潟市中央区の護国神社
能登半島地震の際、参拝者が避難した広場の前で語る禰宜の伊藤豊彦さん=新潟市中央区の護国神社

 2024年1月1日の能登半島地震2024年1月1日午後4時10分ごろに発生した石川県能登地方を震源とする地震。逆断層型で、マグニチュード(M)7.6と推定される。石川県輪島市と志賀町で震度7を記録し、北海道から九州にかけて揺れを観測した。気象庁は大津波警報を発表し、沿岸部に津波が襲来した。火災が相次ぎ、輪島市では市街地が広範囲で延焼した。発生から、1年が過ぎた。新潟県内でも大きな揺れに襲われ、液状化現象が起き、津波が川をさかのぼった。初売り客でにぎわう商業施設や、正月で親戚が集まる沿岸部の集落などでは、その時、どう対応したのか。それぞれの現場で体験した「あの日」の記憶を振り返り、教訓を探る。

 元日は、神社が1年で最も忙しい日だ。能登半島地震が起きた2024年1月1日も、県内の各神社は多くの初詣客を迎えていた。

 日本海を望む松林の中に鎮座し、県内各地から大勢の初詣客が訪れる新潟市中央区の護国神社。24年の地震発生時も家族連れやカップルが参道に長い列をつくっていた。しゃがみ込む人がいるほど大きく地面が揺れ、間もなく津波警報が発令された。

 初詣のにぎわいから一転、神職らは参拝者の安全確保に追われた。禰宜(ねぎ)の伊藤豊彦さん(68)は「『車を取りに行かないでください』と、繰り返しアナウンスした」と振り返る。

 神社は小高い場所にあり、津波が押し寄せる可能性は低いとみられたが、参拝者の多くは海岸沿いの駐車場を利用している。放送のほか、職員が直接声をかけて、参拝者を社殿と回廊に囲まれた芝生の広場に誘導。広場には一時、約2000人が避難した。

 避難した人たちは40分ほど広場で過ごし、それぞれの判断で神社を後にした。伊藤さんは大きな混乱なく、...

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