地震で傾き、バスと接触する恐れのあった信号機。撤去されるまでバスは迂回して運行した=2024年1月2日、新潟市西区(新潟交通提供)
地震で傾き、バスと接触する恐れのあった信号機。撤去されるまでバスは迂回して運行した=2024年1月2日、新潟市西区(新潟交通提供)

 2024年1月1日の能登半島地震2024年1月1日午後4時10分ごろに発生した石川県能登地方を震源とする地震。逆断層型で、マグニチュード(M)7.6と推定される。石川県輪島市と志賀町で震度7を記録し、北海道から九州にかけて揺れを観測した。気象庁は大津波警報を発表し、沿岸部に津波が襲来した。火災が相次ぎ、輪島市では市街地が広範囲で延焼した。発生から、1年が過ぎた。新潟県内でも大きな揺れに襲われ、液状化現象が起き、津波が川をさかのぼった。初売り客でにぎわう商業施設や、正月で親戚が集まる沿岸部の集落などでは、その時、どう対応したのか。それぞれの現場で体験した「あの日」の記憶を振り返り、教訓を探る。

 神社の周辺が初詣客で混雑していることを除けば、車の流れも良く、新潟市内などで路線バスを運行する新潟交通(新潟市中央区)にとって、2024年の元日は例年と変わらない穏やかな年の始まりだった。

 そんな中、夕刻の車内に突如、乗客の携帯電話からけたたましく鳴り響いた緊急地震速報。直後、「走行中でも分かるほどの大き...

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