
本社の屋上で能登半島地震の対応を振り返る一正蒲鉾の長潟一利さん=新潟市東区
2024年1月1日の能登半島地震2024年1月1日午後4時10分ごろに発生した石川県能登地方を震源とする地震。逆断層型で、マグニチュード(M)7.6と推定される。石川県輪島市と志賀町で震度7を記録し、北海道から九州にかけて揺れを観測した。気象庁は大津波警報を発表し、沿岸部に津波が襲来した。火災が相次ぎ、輪島市では市街地が広範囲で延焼した。発生から、1年が過ぎた。新潟県内でも大きな揺れに襲われ、液状化現象が起き、津波が川をさかのぼった。初売り客でにぎわう商業施設や、正月で親戚が集まる沿岸部の集落などでは、その時、どう対応したのか。それぞれの現場で体験した「あの日」の記憶を振り返り、教訓を探る。
新潟市東区の一正蒲鉾は、2024年1月1日の能登半島地震の際、地域住民ら300人を超える避難者を受け入れた。
同社建物がある津島屋地区は阿賀野川河口に近く、海抜1〜2メートルほどの平らな土地が広がる。11年の東日本大震災をきっかけに、同社は本社社屋と工場の屋上に津波避難場所を設置した。13年に地元自治会と協定を結んでからは定期的に住民を交えた避難訓練を実施。23年には新潟市とも「災害時の一時滞在施設」に関する協定を締結している。
同社安全衛生防災グループリーダーの長潟一利さん(40)によると、これまでにも地震で少人数の住民が避難してきたことはあったが、「津波警報が出て、避難者を受け入れたのは初めてだった」という。
地震発生後、社内の安全システムが作動し、自動ドアがすべて解錠された。近所の人たちは来客用玄関から建物内に入り、屋上へ。これまでの避難訓練の成果で、早い人は揺れてから10分ほどで屋上に着いた。
▽大勢の受け入れで見えた課題
元日で工場は休みだったが、...
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