
阿賀野川に親しんだ子ども時代や水俣病の症状について語る福地幸二さんと美代さん=阿賀野市
新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の公式確認から60年となった。認定基準の厳格化などで、症状があっても認定を棄却される人が相次ぎ、救済を求める訴訟は今も続いている。国の「住民健康調査」の行方も見通せない。高齢化が進む中、「もう待てない」「生きているうちに解決を」という原告や被害者の切実な思いは強まっている。(2回続きの1)
「名前を公表するには覚悟が必要だったけど、声を上げなければ被害者の苦しさが伝わらないと思った」。新潟水俣病第5次訴訟の原告、福地幸二さん(76)=阿賀野市=は、2024年12月の決断を振り返る。
決断とは東京高裁で開かれた第5次訴訟控訴審の初公判で、初めて名前を公表して意見陳述した時のことだ。原...
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