「平成の金融危機」がようやく終結したといえる。あの痛みと教訓を忘れず、失敗を糧に「失われた30年」からの脱却を図りたい。
SBI新生銀行が、前身の日本長期信用銀行(長銀)時代に投入された公的資金を完済した。
バブル経済崩壊後の1990年代後半に公的資金を注入された他の金融機関が順次返済を終える中、約2300億円分が大手行として唯一、残っていた。
四半世紀かけてようやくたどりついた節目だ。
長銀は戦後復興のため52年に設立された名門銀行で、主に重厚長大産業への長期貸し付けを担った。しかしバブル崩壊による地価の暴落で、不動産を担保にした融資などが多額の不良債権となってのしかかり、98年に経営破綻した。
バブル期に不動産融資に傾斜し、その後も不良債権処理の先送りなど誤った経営判断を重ねた末の結末だった。企業統治やリスク管理、経営責任の重さなど、経営を巡る多くの教訓を残した。
前年の北海道拓殖銀行、山一証券などに続く破綻で金融システム危機が高まる中、国は長銀株を買う形で公的資金を注入し、管理下に置いて再建を目指した。
残念なのは再建が順調に進まず、「失われた30年」といわれる日本経済の長期低迷を象徴するような歩みをたどったことだ。
2000年に長銀は米投資ファンドを中心とする投資組合に破格の安さで売却され、新生銀として再出発したが業績は振るわず、その後の上場も投資組合に利益をもたらしただけだった。
08年のリーマン・ショックが業績悪化と株価低迷に追い打ちをかけ、公的資金の返済は滞った。
局面を変えたのは、SBIホールディングス(HD)だ。21年に新生銀を買収し、国以外の株主から株を買い取って非上場化した上で今回、残る資金を返済した。
返済を終えSBI新生銀は、再上場を目指すなど攻めの経営に転じる方針だ。SBIHDは、長岡市の大光銀行など全国の地銀との連携強化を通じて規模を拡大し、メガバンク並みの金融事業を展開する構想を掲げている。
地域経済の振興に一層尽力してくれることを期待したい。
平成の金融危機は県内にも大きな波となって押し寄せ、99年に新潟中央銀行が破綻するなど、地域経済はダメージを受けた。
それから四半世紀を経て県内の金融・経済を巡る風景も様変わりしている。第四銀と北越銀が合併して21年に発足した第四北越銀は現在、群馬銀との経営統合に向けた準備を進めている。
人口減少が急速に進み、地域の疲弊は著しい。
いざという時には国民の税金が投入される金融機関の公共性や社会的責務を忘れず、地域貢献に努めてもらいたい。