サイパン島の戦いで亡くなった先住民の名前が刻まれた「マリアナ追悼碑」=2025年8月、米自治領サイパン島
 サイパン島の戦いで亡くなった先住民の名前が刻まれた「マリアナ追悼碑」=2025年8月、米自治領サイパン島
 サイパン島の戦いで亡くなった先住民の名前を刻んだ「マリアナ追悼碑」=2025年8月、米自治領サイパン島
 サイパン島の戦いで救助された先住民ら=1944年7月(沖縄県公文書館所蔵)
 追い詰められた住民らが身を投げたサイパン島北端のマッピ岬=2025年8月9日
 サイパン島最大の繁華街、ガラパン。観光客の姿はほとんどなく閑散としている=2025年8月7日
 タポチョ山の山頂から米軍の上陸地点の方向を指す高橋香織さん=2025年8月9日
 米軍による艦砲射撃で一部が崩落したマッピ山の崖=2025年8月9日

 空と溶け合うように青く透き通った海がどこまでも続く。日本から南に約2400キロ、中部太平洋に浮かぶ米国の自治領・北マリアナ諸島のサイパン島。1944年6~7月、楽園のような島は、太平洋戦争の分岐点となる激戦の舞台となった。2万人を超える住民を巻き込み、太平洋戦争で初めて、約1万人に上る膨大な民間人犠牲者を出した戦闘でもあった。

 当時、島は日本が統治し、住民の大半は日本から海を渡った移民家族だった。一方、数千の先住民も存在していた。日本国籍は与えられず、差別的な身分に置かれた彼らにも戦禍は等しく襲い、900人以上が命を落とした。

 太平洋戦争の「記憶の風化」が叫ばれて久しい。とりわけ日本人とは異...

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