平和の誓いを述べる新潟大付属長岡中の熊倉茉結子さん=8月1日、アオーレ長岡
平和の誓いを述べる新潟大付属長岡中の熊倉茉結子さん=8月1日、アオーレ長岡

平和の誓いを述べる新潟大付属長岡中の熊倉茉結子さん=8月1日、アオーレ長岡

 1945年8月1日に新潟県長岡市が大規模な空襲に遭い、多くの人たちが命を落とした「長岡空襲」から78年となる。長岡市のアオーレ長岡で1日に開かれた市平和祈念式典で、被爆地の広島市に派遣される中学生の代表が「平和の誓い」を朗読した。

 新潟大付属長岡中3年、熊倉茉結子さん(14)による「平和の誓い」の全文を紹介する。

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 長岡の空は、夜なのに夕焼けのように赤かった」。隣町に住んでいた、当時8歳だった祖母が見た長岡空襲の日のことです。夜なのに空が明るくなるのは、花火のときだけだと思っていました。

 私は小学6年生の時、平和祈念式典に参加したことをきっかけに、長岡空襲について学習しました。そこで、自らの戦争体験を語ってくださる「語り部」の方がいることを知りました。自身の辛い体験や戦争の悲惨さを伝えてくださるのです。語り継がれる言葉は、どんな資料や映像よりも生々しく、とても悲しく私の心に響きました。実体験の言葉は、とても重かったです。

 私は、この学習をきっかけに知り合ったある語り部の方から手紙をいただきました。そこには「辛い体験ほど言い残していくべきだ」と書かれてあります。そして、「いつかまたお会いできる日まで」とありましたが、その方との約束は残念ながらかないませんでした。語り部の高齢化により、次世代へ「つなぐ」ことが難しくなってきているのです。

 私たちの世代は、戦争体験者から直接話を聞くことができる最後の世代だと思います。もう二度と、戦ってはいけないことを、どう後世に伝えるのか。私たちのこれからの行動で未来が大きく変わっていくと思います。今、日本は平和でも、世界のどこかで戦争は起きています。戦争の悲しみや痛みを知っても、なぜ戦いをやめないのでしょう。

平和祈念式典で代表献花を行う地元中学生ら=8月1日 アオーレ長岡

 辞書で平和と調べると「戦いや争いがなく、おだやかな状態」とあります。私にとって平和とは、争いや差別がなく、安心して日常生活を送ることです。唯一の被爆国であり、過去に2度も戦火を経験した長岡に住む私たちには、戦争と平和について語り継ぐ責務があると思います。平和とはなにか、戦争がなぜいけないのか。これらを世界へ、そして後世へと語り継いでいかなければなりません。

 長岡花火の日に生まれた私にとって、花火は娯楽の一つでした。でも、長岡空襲と平和の尊さを思った今、花火の意味を考えながら見るようになりました。80年前の長岡の空は、戦火で染まっていました。

平和の誓いを述べる新潟大付属長岡中の熊倉茉結子さん=8月1日、アオーレ長岡

 平和だと感じる今は、フェニックスが夜空を飾ってくれます。私たちが望むのは、悲しい爆弾ではなく、幸せな色に染めてくれる花火です。「みんなが爆弾なんか作らないで、花火ばかり作っていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな」と、かつて山下清がつぶやいた一言は、とても大きな意味があると思います。

 世界中の人々が、幸せな日常を過ごせるその日まで、そして、語り部の方との約束を守るためにも、私は次の世代へ平和の大切さを語り継いでいきたいです。