【2021/12/05】

 福島県境の旧入広瀬村大白川地区(魚沼市)は、いち早く雪化粧していた。

 浅草岳のふもと、「田中角栄が架けた」と語り継がれる真っ赤な浅草大橋を渡ると、周囲に不釣り合いな堅牢(けんろう)な建物がある。人けはない。窓の一部は割れ、伸びきったススキや枯れ木が新雪に覆われていた。

 「ホテル大自然館」。岩山をくりぬいて造った「洞窟風呂」が名物で、かつては1カ月に2万人が訪れる人気スポットだった。

 平成初期に総事業費15億円超、足かけ5年で造られた大型施設だが、長く人を引きつける力はなかった。ホテル開業から10年後の2006年に閉館し、無残な姿をさらしている。

 

 入広瀬は「田中政治のモデル」と評される。豪雪の山村に1971年に只見線の鉄路が通り、73年には福島県への国道「六十里越」がつながった。

 住民は衆院選の得票で田中に恩を返した。中選挙区だった旧新潟3区で、入広瀬での田中の得票率は63年から最後の出馬となった86年まで常に5割を超え、最高で8割にまで達した。

 越山会員だった住安正信(70)は懐かしむ。「ピーク時は村の9割方が越山会だった。公共事業は山ほどあった。大型バスを連ねて目白(の田中邸)にもよく陳情に行ったもんだ」

 村政自体が半世紀にわたって田中と直結した。かつての村長佐藤宏(在任51~75年)が越山会員をまとめ、後継村長の須佐昭三(同75~2000年)がその構図をさらに強化した。須佐は住民から「建前(上棟式)村長」と呼ばれるほどハコモノに心血を注ぎ、田中政治の一要素を担っていく。

 須佐村政の80~90年代には大自然館以外に、「山菜会館」、食用山野草を集めた「ワイルドフード植物園」、熱帯植物を見せる「野山の幸資料館」、露天風呂や温水プールを備えた「寿和(すわ)温泉」などを建設。事業費は計約25億円に上る。

 国県の補助金を使い、先手必勝で攻めた須佐の政治力。ハコモノは地元に熱気と潤いをもたらし、住民は須佐に田中の姿を重ねた。

 だが、栄華は続かなかった。景気と客足の減退に加えて2004年に中越地震が発生。インフラは傷つき、風評被害が起きた。地震直後に6町村合併で魚沼市の一部となった山村に、反転攻勢の力はなかった。

新雪に覆われる「ホテル大自然館」。住民は「今じゃ、イタチの住みかだて」と皮肉を込める=魚沼市大白川(本社小型無人機で撮影)

 現在では多くの観光施設が閉館。地域の宝が「負の遺産」に変わった。

 入広瀬ただ一人の魚沼市議・浅井宏昭(43)は「村時代の補助金が償還できていないことから、壊せない施設もある。正直、手に負えなくなってきている」と悩んでいる。

 先の衆院選で魚沼市の新潟5区では野党系の米山隆一が当選、敗れた自民党の泉田裕彦が比例復活した。

 ただ、かつてのように与党議員に頼る空気はない。越山会員だった自営業男性(66)は「ハコモノを何とかしようにも、角栄さんと違って数年に1回の選挙時にしか来ない“オリンピック議員”なんて頼りにならん」と嘆く。

 以前の中選挙区は候補や後援会の運動量が票に直結した。昭和時代、入広瀬には田中本人や秘書が繰り返し入った。だからこそ、今も多くの高齢者が田中をあがめる。

 しかし、そんな経験のない浅井ら若手世代には現実離れした話に聞こえる。

 浅井はこぼした。「都会から子どもたちを雪国に留学させるアイデアもある。補助金の相談だってしたい。せめて顔を出し、話を聞くだけでもしてもらえないのだろうか」(敬称略)