Jマテ.ホールディングス(上越市)は、資源回収を祖業とし、グループ企業でリサイクル製品を一貫して手がける。創業から70年余。グループ企業は8社を数え、銅合金の鋳造、製品加工、産業機械の設計・製作などものづくりに携わるほか、解体事業や土地区画整理、バイオマス資源の燃料化など人びとの暮らしに関わる事業を幅広く展開する。社名はグループの主要企業「上越マテリアル」に由来し、「Jマテ」と書いて「ジョーマテ」と読む。限りある資源を有効活用し、環境保全など国連の持続可能な開発目標(SDGs)を下支えする。

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上越市木田にあった山本産業時代の社屋=1980年代

 Jマテ.ホールディングスは、現社長の山本秀樹氏(72)の父耕作氏が1950年に鉄くず回収業を個人事業主として柿崎町(現・上越市柿崎区)で始めたのがルーツだ。

 耕作氏は戦前、地元の機械製造・販売会社で総務の仕事をしていた縁で人脈があった。上越市に製造拠点がある信越化学工業など大手の工場で鉄や銅のスクラップが出るといち早く購入し、商社を経由して製鉄大手に販売して利益を得た。

 創業は折しも朝鮮戦争が始まった年。特需の波にも乗って事業を拡大し、56年に「山本商店」と会社組織に改め、社長に就く。その後、現在の上越市東本町にあった鋳物工場の跡地を購入し、回収してきた鉄や銅、紙を積んでおくヤードを建設した。紙は近隣の製紙工場に納めた。

 柿崎からヤードのそばに転居し、家族も呼び寄せた。当時小学2年生だった秀樹氏は「父は仕事が忙しく、家に帰る余裕がなかった」と当時を振り返る。

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 スクラップは相場により値段が動くため、売買で多大な損失をこうむる時もあった。旧ソ連の最高指導者スターリンが死去したことをきっかけに起こった株価暴落では、スクラップ相場が大幅に下落。「倒産しかねないほどの痛い目にもあったようだ」と秀樹氏は語る。半面、大きな利益を得る時もあった。起伏は激しいが、高度経済成長の波にもうまく乗り、業績は伸びていった。

 60年に「山本産業」に商号を変え、66年に銅を主な原料とする合金、銅合金の生産を始めた。グループ企業の一つ「Jマテ.カッパープロダクツ」(JCP)の原型となる事業だ。68年に同市木田に大きな工場を建設して移転。銅合金の生産量が大きく増えたほか、鉄くずの商い量も大幅に増加した。

会社データ
創業 1950年
資本金 1億円
売上高 222億円 (2021年12月期)
事業内容 銅合金鋳造・加工、リサイクル、解体工事など
従業員数

約540人

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 秀樹氏は、亡き父の耕作氏を「積極的で思ったことはやり通す強い意志を持った人」と評する。

 70年代、山本産業は東京の会社に製品を納入するために共同でプロジェクトを立ち上げたが、東京の会社の業績が悪化し、製品を引き取れないと通告されたことがあった。耕作氏は製品の引受先を探すために1年近く奔走。別の取引相手を見つけ、苦境を乗り越えた。

 耕作氏は先を見据えてビジネスの種もまいた。80年に一般廃棄物処理業の許可を取得し、子会社の上越マテリアルが担う廃棄物の回収など環境ビジネスにつながっていく。

 高度経済成長の波に乗って会社が大きく成長していく中、東京の大学で学び、さいたま市のリサイクル業者で修業していた秀樹氏が呼び戻される。資材担当をして1年ほどたったころ、山本産業と取引があった総合商社の日商岩井(現双日)で修業することになった。3年間の修業が、会社をさらに成長させるビジネスチャンスを呼び込むことになる。