「アウティング」という言葉がある。本人が打ち明ける前にプライバシーを暴き立てる行為を指す。性的少数者の性自認などを暴露したり、被差別部落の住所をインターネット上で公開したりといった行為が問題視されている
▼最近知られるようになった言葉だが、こうした行為は以前からあった。1世紀以上前に、この問題に真正面から向き合った小説が島崎藤村の「破戒」である。小説を原作にした映画が県内でも公開中だ
▼被差別部落出身であることを伏せ、教師として働いている主人公は、その出自を打ち明けようか悩む。ところが決心を固める前に主人公が被差別部落出身だといううわさが流れる。同僚教員の間で心ない言葉が飛び交う場面では、映画だとは分かりながらも胸が痛む
▼差別は今もなくならない。プロデューサーの中鉢裕幸さんは本紙に載ったインタビューで、映画が描いた差別の問題は今のネット空間にも存在すると指摘していた。「人は誰かを下に下げることで自分の心の安定を保とうとすることがある」
▼差別はなくなるどころか、匿名性の高いネットによって深刻化した面もある。ネット上でのアウティングは無限に広がる恐れがある。その情報を消そうとしても難しい
▼プライベートな事項をいつ誰に語るかは、当人が決めるべきなのは言うまでもない。しかし、そんな当然のことが、ないがしろにされている現実がある。100年かけてもなかなか変わらない問題だが、今を生きる私たちが向き合わねば。