井角隆さん(左)、祐子さん夫婦。息子の陽介さん(手前)が福井市から駆けつけ50メートル先の沢の水を融雪用や風呂用に分けて家屋に引き込む作業をしていた=1月27日、輪島市
井角隆さん(左)、祐子さん夫婦。息子の陽介さん(手前)が福井市から駆けつけ50メートル先の沢の水を融雪用や風呂用に分けて家屋に引き込む作業をしていた=1月27日、輪島市

 能登半島地震があった元日の大火で、石川県輪島市の朝市通り一帯は1カ月近くたっても焦げた臭いが立ちこめていた。見渡す限りのがれき。海産物を求める観光客らでごった返し、夏祭りの夜は巨大灯籠「キリコ」が連なった懐かしい光景はどこにもない。輪島は両親のふるさとだ。父方の実家はかつて箸などの輪島塗の製造元、母方は山あいで農業をして暮らしていた。私は会社員の父が転勤を機に移り住んだ新潟で育ったが、子ども時代はお盆を輪島で過ごすのが恒例だった。久々に訪れ、想像を絶する状況に言葉が出てこなかった(新潟日報社取材班・笹川比呂子、写真は金子悟)

 輪島を訪れたのは7年半ぶりだ。昨年11月下旬に母が病死し、はるばる葬儀に駆けつけてくれた輪島の親族に「春には遊びに行くよ」と手を振って別れたばかりだった。

 まさか、取材という形で現地に来ようとは夢にも思わなかった。朝市で海産物を販売していたいとこは、なりわいと街をいっぺんに失ったショックで寝込んでいた。

火災前は魚介や漆器・雑貨などの土産を買い求める観光客でにぎわい、ピークを過ぎた時間帯も客足が絶えなかった=2016年8月

 人口約2万3千人の輪島市はコンパクトな街だ。市役所から朝市があった河井町や、河原田川を挟んで対岸の鳳至(ふげし)町に徒歩で行き来できる。漁港も近い。歩いてみると、5万平方メートル余が焼失した...

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